田中圭の学歴と経歴!出身中学・高校はどこ?偏差値や代表ドラマ一覧も

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俳優の田中圭さんといえば、ドラマや映画で見ない季節がないほどの人気ぶりですよね。

自然体な演技と親しみやすい人柄で、幅広い世代から支持を集めています!

そんな田中圭さんが、どんな学校に通い、どんな学生時代を過ごしていたのか気になる方も多いのではないでしょうか。

この記事では、田中圭さんの学歴や経歴をはじめ、出身中学・高校の情報や当時のエピソード、さらには代表作となったドラマや映画の一覧まで、じっくりご紹介します。

目次

田中圭のプロフィール

出典:インスタグラム
田中圭の基本情報
  • 名前:田中 圭(たなか けい) 
  • 年齢: 40歳 (※2025年7月現在) 
  • 生年月日:1984年7月10日 
  • 身長:178cm
  • 血液型:O型 
  • 出身:東京都江東区亀戸
  • 職業:俳優 
  • 所属事務所:トライストーン・エンタテイメント
  • 配偶者:さくら(田中広美)
  • 趣味:バスケットボール、銭湯巡り、ゲーム 
  • 特技:バスケットボール、水泳

田中圭の学歴一覧

有名人の学歴経歴情報サイト・イメージ

田中圭さんの学歴で、出身校はどこなのかをご紹介していきます!

出身小学校:東京都中央区立久松小学校

出典:ココロマチ

田中圭さんが小学校の頃に通われていた学校は、

東京都中央区立久松小学校です。

項目内容
創立年1873年(明治6年)3月9日
所在地東京都中央区日本橋久松町7-2 
学制公立小学校(男女共学)
教育方針「強く 正しく 豊かに」を標語とし、主体性・礼儀・地域とのつながりを重視した教育
授業形態全日制普通教育
進学先学区内・区内・近隣中学校へ公立進学
交通
アクセス
都営浅草線「人形町駅」徒歩約5分、東京メトロ日比谷線・都営新宿線「馬喰横山駅」近く
学校施設2016年新校舎(5階建て以上)、体育館、プール、図書館、同敷地に久松幼稚園
教育環境伝統を活かした学校行事・地域交流、児童自ら企画運営するイベント
特徴①150年以上の歴史と伝統
特徴②都心とは思えぬ地域連携と児童数の多さ
特徴③同敷地に久松幼稚園
特徴④各種周年式典に皇室が度々ご臨席
特徴⑤関東大震災や戦災を乗り越えた復興の経験あり
特徴⑥自発活動・企画力が重視される校風
特徴⑦著名人の卒業生も複数

出身中学校:渋谷教育学園幕張中学校

出典:スクールTOMAS

田中圭さんが中学校の頃に通われていた学校は、

渋谷教育学園幕張中学校です!

項目内容
設立年1986年(中学校)
所在地千葉県千葉市美浜区若葉1-3
学制私立中高一貫校(男女共学)
教育方針「自調自考」(自ら調べ、自ら考える)。自調自考の力を伸ばし、倫理感と国際感覚を重視
授業形態6ヵ年一貫教育。キャリア教育・探究学習・国際交流型学習プログラムが充実
進学先東京大学はじめ難関国公立・私立大への合格者多数。ハーバード等海外有名大学への進学や推薦も多数
交通
アクセス
JR京葉線「海浜幕張駅」徒歩10分
学校施設グラウンド、図書館、複数の実験室、多目的教室、国際交流施設など先進の学習環境
教育環境帰国生多数・多文化共生の校風。ネイティブ教員による高水準の英語教育。生徒の多様性を尊重
特徴①全国屈指の進学実績(東大・海外大)
特徴②国際交流・海外提携校豊富
特徴③「自調自考」精神の徹底
特徴④文化祭・研修行事を生徒が主導
特徴⑤キャリア教育や探究型学習・ICT教育に強み
特徴⑥生徒主体・自由な校風

出身高校:渋谷教育学園幕張高等学校

出典:文化放送

田中圭さんが高校の頃に通われていた学校は、

渋谷教育学園幕張高等学校です!

項目内容
設立年1983年
所在地千葉県千葉市美浜区若葉1-3
学制私立高等学校(男女共学)
偏差値76~77(2025年版)
教育方針「自調自考」(自ら調べ、自ら考える)を重視。個性を尊重し、国際性・倫理感の育成を重視
授業形態普通科単一。高大連携・海外との交流、進学対応カリキュラム
進学先東京大学・京都大学・医学部・難関国公立・早慶等への合格者多数。海外大進学実績あり
交通
アクセス
JR京葉線「海浜幕張駅」徒歩10分
学校施設校舎(最新設備)、図書館、複数理科実験室、多目的教室、グラウンド、体育館、国際交流施設
教育環境幕張新都心の高機能複合都市、緑地充実。帰国生・留学生多数、国際教養型校風
特徴①全国トップクラスの進学実績
特徴②国際交流・海外留学に強み
特徴③「自調自考」の独自校風
特徴④帰国生受け入れ制度あり
特徴⑤施設と行事:先文化・運動部ともに全国大会出場実績多数
特徴⑥創造性・自主性を重んじる教育環境

大学には進学していない

田中圭さんは高校卒業後、大学には進学されていません。

高校時代からすでに芸能活動を始めていたので、そのまま俳優の道一本で頑張ってこられました。

大学生活を経験することはなかったですが、若い頃から現場でいろんな経験を積んで、今の活躍につながっているんだと思います。

進学せずに俳優業に専念された分、たくさんの作品や現場で成長されてきたので、本当に素晴らしいなと思います。

田中圭の小学校時代エピソード

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田中圭さんが小学校時代にどんなエピソードがあったのか、ご紹介していきます。

反省文

田中圭さんは、小学生のころに担任の先生から反省文をよく書かされていたそうです。

授業中に少し騒いだり、遅刻したりするとすぐに原稿用紙で反省文の提出を命じられ、最終的には数百枚にもなったとか!

当時の担任の先生はとても厳しく、田中さんが授業中に賑やかだと「反省文3枚!」、遅刻すれば「10枚!」と決めていたそうで、その結果、書いた反省文がどんどん増えていき、最終的には400枚近くにもなったというから驚きです!

400字詰めの原稿用紙20枚分を書いたこともあるというエピソードから、幼いころから負けず嫌いな性格が感じられますね!

田中さんは当時のことを以下のように語っています。

「小学生のときはほぼ毎日反省文を書いていた。授業中うるさいと担任の先生が『反省文3枚提出だ』って言う人で。遅刻すると10枚とか、とにかく反省文を書かせる先生だった。MAXで400枚くらい溜まった(笑)。小学校5年生のときだったかな。400字詰めの原稿用紙に反省文20枚とか書いたこともあるし……」

引用元:ENCOUNT

思わず笑ってしまうほど大変な思い出ですね!

この話を聞くと、田中さんの明るくて前向きな人柄がよく伝わってきますし、叱られながらも諦めずに書き続ける姿勢は、今の役者としての粘り強さにつながっているのだと思います。

文武両道の優等生

田中圭さんの小学校時代は、文武両道の優等生ぶりだったそうです。

当時の田中さんは、勉強でも運動でも手を抜かずに取り組み、授業中には先生から「じゃあ田中、答えてみて」と指名されることも多かったそうです。

運動面でも、放課後に友達とサッカーをしたり、バスケットボールに夢中になったりと、毎日のように外で走り回っていました。

テストで良い点を取り、クラスの中心的な存在でもあったことから、“優等生”というイメージが自然と周囲に定着していったようです。

過去のインタビューでは、こう振り返っています。

「僕が小学生のときはすごくいい子でした(笑)。勉強もちゃんとして、スポーツもして、文武両道を頑張っていました。」

引用元:Domani

さらに、こうも語っています。

「小学生のときの僕はちょっとイヤな奴だったと思います。小学5、6年生あたりの文集で『友達なんかいらない』というタイトルの作文を書いたんです。大人になって読み返したら『なんで人はうわべの友達を大事にするんだろう』みたいなことが書いてあって。自分でも“イヤな奴だな〜”って思いました(苦笑)。でも今読み返すと、言っていることは納得できて、“意外と小学生の自分はすごいな”と思ったりもしました。」

引用元:Domani

こうしたエピソードから伝わってくるのは、「やるべきことをきちんとやる」姿勢が子どもの頃から自然に身についていたということです。

誠実さの中にユーモアを交えるあたりにも人柄の温かさが感じられ、そのバランスこそが、今の田中さんの魅力を形作っているのだと思います。

バスケットボールで全国大会優勝

田中さんは小学校時代、久松小学校に通いながら、東京YMCAのバスケットボールチームに所属し、なんと全国大会で優勝を経験しています。

バスケットボールを始めたきっかけは、バスケ好きなお母さまの影響だったそうです。

小学1年生の時にクラブへ入り、ピアノや絵画など他の習い事も続けていましたが、唯一長く続けたのがバスケでした。

小学4年生から強豪チームで活躍し、6年生が主力を務めるなかで唯一4年生からスタメン入りし「点取り屋」と呼ばれるほど目立つ存在でした。

過去のインタビューでも、当時を次のように振り返っています。

「母親がバスケ大好きで、その影響で小学1年生の時にYMCAでバスケを始めたんです。それが唯一ずっと続いた習い事だったんですけど、東京YMCAで全国優勝したりして。小学6年生がスタメンを張る中、僕は4年生の時から1人スタメンだったんです。軽い自慢になっちゃいますけど(笑)。」

引用元:WEBザテレビジョン

全国優勝の歓声や仲間と味わった達成感は、今の田中さんの大きな自信や粘り強さにつながっているのだと思います。

田中圭の中学校時代エピソード

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田中圭さんが中学校時代にどんなエピソードがあったのか、ご紹介していきます。

スパルタ教育からの解放

田中さんは中学時代、偏差値70超えの難関中高一貫校の渋谷教育学園幕張中学校に通っていましたが、当時は中学受験のために塾にも通い、塾の先生はとても厳しく、怒られるのが嫌で半ば強制的に勉強していたそうです。

過去のインタビューでは次のように話しています。

「塾の先生に怒られるのがイヤで半ば強制的に勉強していただけだった。中学合格で目標達成してスパルタ教育から解放された瞬間に一切勉強しなくなってしまった。中学1年生のうちにどんどん成績が落ちて、落ちこぼれになってしまった」

引用元:現代ビジネス

こうした本人の言葉通り、目標を達成したことで、急にやる気がなくなってしまったというのはよくある話かもしれません。

評価に追われながらも必死に勉強していた子どもにとっては、束縛から解放された瞬間の気の緩みは避けられないものです。

ただ、田中さんの場合、その後に芸能活動に力を入れることになり、今では俳優として多くの人に愛される存在となっています。

私服が原因でショックを受けた思い出

田中圭さんは中学の頃、バスケットボール部に所属していましたが、当時は部活の仲間と男女数人で遊びに出かける機会がありました。

楽しく過ごしたものの、後日「田中圭、私服めっちゃダサいよね」という評判が仲間の間で広まっていたと知り、大きなショックを受けたそうです。

過去のインタビューで、次のように語っています。

「バスケ部のみんなで男女でどっか遊び行って、一週間後とかに『田中圭私服バチクソださくない?』とかそういうのを言われてるっていうのを後から聞いて、すごいショックを受けたっていうこともありますし」

引用元:エキサイトニュース

明るく人気者の田中さんですが、思春期には服装をからかわれ、深く傷ついたこともあったそうです。

しかし今では、どんな衣装も格好よく着こなす俳優へと成長しています。

かつて「ダサい」と言われた経験も、役者としての糧になっているのでしょう。

怪我で迎えたバスケ引退の挫折

田中圭さんの中学時代は、バスケットボールに情熱を注いでいましたが、中学3年生の最後の大会直後に不運にも怪我を負い、バスケットボールを続けられなくなり、中学生活とともに選手としての時間も終わってしまいました。

突然目標を失った喪失感は大きく、高校進学後も前に進めず、周囲が未来に向けて努力する中で、自分だけが取り残されたように感じたといいます。

過去のインタビューでは、次のように語っています。

いや、実は思い描いていたバスケ生活は実現できなかったんです。中学3年生の最後の大会の後、怪我をしてしまって…。それで、中学生活が終わると同時に、バスケも引退することになりました。「今までずっと打ち込んできたものが突然なくなってしまった」という喪失感や虚無感は大きかったですね。一方で進学校だったから、まわりの皆は本当にすごいんですよ。明確な高い目標を持って切磋琢磨するような環境で。その中に一人取り残されてしまったような気がして、高校に上がれたというのに、しばらくはなんとなくダラダラと学校生活を送るように…。

引用元:グローバル女子教育便利帳

誰もが全力で打ち込んだものを失えば大きな喪失感に襲われます。

田中さんがその経験を乗り越えたからこそ、今の深みや人間味につながっているのだと思いますが、その挫折が、彼の笑顔や役柄に説得力を与えているのかもしれません。

田中圭の高校時代エピソード

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田中圭さんが高校時代にどんなエピソードがあったのか、ご紹介していきます。

進学校での挫折とドロップアウト

田中さんは高校時代、偏差値70を超える名門の中高一貫校・渋谷教育学園幕張に通っていましたが、学校は勉強熱心な生徒が多く、素晴らしい環境でしたが、本人は当時を振り返り「入れたは入れたけど、だんだん落ちぶれていった」と率直に語っています。

入学後は勉強への意欲を失い、周囲が次々と先へ進んでいく中で、自分だけ取り残されていくように感じていたそうで、過去のインタビューでも次のように話しています。

「学校自体はすごい進学校で、素敵な学校なんですけど。僕は入れたは入れたけど、どんどん入って落ちぶれていったんで」と回顧。「入ってから、やっぱり勉強もしなくなったし、わかりやすく置いてかれたって形ですね。だから、この仕事なかったら(今頃)何してたかわからない」

引用元:スポニチ

と、このように田中さんは語っています。

彼のエピソードは、「いい学校に入ることがすべてではない」ということを教えてくれます。

挫折や迷いがあったからこそ、自分の進む道を見つけ、俳優として全力で頑張ることができたのでしょう。

そうした青春時代のリアルな悩みこそが、田中さんの魅力や人柄をより一層際立たせています。

予期せぬ恐怖体験

田中圭さんの高校時代のエピソード2つ目は、
予期せぬ恐怖体験についてです。

2023年10月17日、テレビ朝日系ドラマ『おっさんずラブ』の完成披露試写会舞台あいさつで、田中圭さんがご自身の高校時代について衝撃的なエピソードを語りました。

田中圭さんは舞台あいさつでこう明かしています。

「高校時代、お兄ちゃんみたいな方がいて、ある時、本当に寝込みを襲われそうになったことがあった」

引用元:スポーチ報知

彼はこの実体験も伴う役どころを演じたことで、自信を持って「恋愛ドラマの名作として記憶に残る作品になると思う」と語りました。

この衝撃的なエピソードを聞いた会場はどよめきましたが、その告白から、田中さんの俳優としての深みを感じずにはいられません。

本人が経験した恐怖を乗り越え、今では多くの人に愛される俳優へと成長していることが伝わってきます。

田中圭の芸能界デビューのきっかけ

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田中圭さんの芸能界デビューのきっかけは、お母様が映画のオーディションに応募してくれたことです。

この映画のヒロインの相手役のオーディションには落選しましたが、最終審査まで残ったことがご縁となり、現在の事務所にスカウトされて芸能活動を始めることになりました。

実際、田中圭さんは進学校に通いながらバスケットボールに打ち込んでいましたが、ケガで部活を離れたことで将来に迷いがありました。

そんな時、ご自身は芸能界に関心がなかったにもかかわらず、お母様が勝手にオーディションに応募。最終的に今の事務所から声がかかり、「これで受験から逃げられるかも!」と感じて芸能界の道へ進んだそうです!

田中さんは、過去のインタビューで以下のように話しています。

「僕は母親が映画のオーディションに応募してて。その映画のオーディションは落ちちゃったんですけど、最終審査の審査員の方が今のトライストーン(・エンタテイメント)に入んないかって電話くれて。紹介で」

引用元:スポニチ

母親の行動が転機になったことが伝わりますね!

田中圭さんのように自分の意志ではなく、家族の後押しや偶然の縁で大きな一歩を踏み出す方も少なくありません。

ご本人が「受験から逃げられる」と少しユーモラスに語るエピソードに親しみを感じます。

俳優デビューはいつ?

田中圭さんの俳優デビューは、2000年12月に、任天堂の「マリオパーティ3」のCMでのデビューが始まりです。

その後、2002年3月9日に園子温監督作「自殺サークル」で映画に初出演し、2003年7月1日のドラマ「WATER BOYS」で注目を集めるようになりました。

田中圭の出演ドラマ・映画一覧

出典:インスタグラム

以下は田中圭さんが出演したドラマや映画の一覧です!

気になる作品があれば是非チェックしてみてくださいね。

ドラマ出演作品一覧

放送年タイトル初回
放送日
役名
2003年WATER BOYS7月1日安田孝
2005年汚れた舌4月14日涼野光哉
スローダンス7月4日長谷部幸平
2006年白夜行1月12日菊池道広
タイヨウのうた7月14日大西雄太
僕の歩く道10月10日三浦広之
2007年冗談じゃない!4月15日友田聡
牛に願いを Love&Farm7月3日芦崎克也
2008年無理な恋愛4月8日矢代文平
魔王7月4日葛西均
キャットストリート8月28日小沢雅信
2009年子育てプレイ4月8日山本岳
2010年まっすぐな男1月12日熊沢志郎
チェイス〜国税査察官〜4月17日窪田鉄雄
2011年おひさま4月4日須藤春樹
それでも、生きてゆく7月7日日垣耕平
私が恋愛できない理由10月17日長谷川優
2012年デカ 黒川鈴木1月5日赤木忠志
ドクターX〜外科医・大門未知子〜10月18日森本光
2013年ビブリア古書堂の事件手帖1月14日笠井菊哉
第二楽章4月16日富永雅也
ノーコン・キッド〜ぼくらのゲーム史〜10月4日渡辺礼治
2014年軍師官兵衛1月5日石田三成
2015年残念な夫。1月14日向井和之
びったれ!!!1月14日伊武努
HEAT7月7日濱田直紀
2017年恋がヘタでも生きてます4月6日雄島佳介
警視庁・捜査一課長 Season24月13日刑部公平
おっさんずラブ4月21日春田創一
民衆の敵〜世の中、おかしくないですか!?〜10月23日佐藤公平
2018年健康で文化的な最低限度の生活7月17日京極大輝
獣になれない私たち10月10日花井京谷
2019年あなたの番です4月14日手塚翔太
2020年シロでもクロでもない世界で、パンダは笑う。1月12日森島哲也
アンサング・シンデレラ 病院薬剤師の処方箋7月16日瀬野章吾
キワドい2人-K2- 池袋署刑事課 神崎・黒木9月11日黒木賢司
先生を消す方程式。10月31日義澤経男
2021年ナイト・ドクター6月21日成瀬暁人
らせんの迷宮〜DNA科学捜査〜10月15日神保仁
2022年持続可能な恋ですか?〜父と娘の結婚行進曲〜4月19日東村晴太
2023年リバーサルオーケストラ1月11日常葉朝陽
unknown4月18日朝田虎松
ブラックポストマン8月18日副島力也
2024年おっさんずラブ-リターンズ-1月5日春田創一
わたしの宝物10月17日神崎宏樹
2025年アンサンブル1月18日宇井修也
おい、太宰6月29日小室健作

映画出演作品一覧

公開年映画
タイトル
公開日役名
2002年自殺サークル3月9日屋上にいる高校生たち
2004年いま、会いにゆきます10月30日澪の大学の友人
恋文日和 雪に咲く花12月4日神代陽司
2005年容疑者 室井慎次8月27日黒木孝夫
2006年シムソンズ2月18日加賀真人
東京大学物語2月25日村上直樹
bird call3月18日サトナカ
バックダンサーズ!9月9日茶野明
虹の女神 Rainbow Song10月28日尾形学人
2007年包帯クラブ9月15日柳元紳一
2008年凍える鏡1月26日岡野瞬
しあわせのかおり10月11日高橋明
2009年キラー・ヴァージンロード9月12日利根川純
TAJOMARU9月12日桜丸
ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない11月21日木村翔太
2010年ラブコメ9月25日村田美晴
七瀬ふたたび10月2日岩淵了
クロサワ映画10月23日なし
2011年ランウェイ☆ビート3月19日犬田悟
2012年アフロ田中2月18日岡本一
レンタネコ5月12日吉沢茂
2013年みなさん、さようなら1月26日堀田
相棒シリーズ X DAY3月23日岩月彬
図書館戦争4月27日小牧幹久
サンゴレンジャー6月15日岸谷博人
2015年図書館戦争 -THE LAST MISSION-10月10日小牧幹久
予告犯6月6日北村
びったれ!!!11月28日(11月7日広島先行)伊武努
2016年バースデーカード10月22日田中圭
2018年伊藤くん A to E1月12日田村伸也
マンハント2月9日北川正樹
スマホを落としただけなのに11月2日富田誠
2020年スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼2月21日富田誠
2024年スマホを落としただけなのに 〜最終章〜 ファイナル ハッキング ゲーム11月1日富田誠
2019年美人が婚活してみたら3月23日矢田部
劇場版 おっさんずラブ 〜LOVE or DEAD〜8月23日春田創一
記憶にございません!9月13日大関平太郎
2020年mellow1月17日夏目誠一
2021年哀愁しんでれら2月5日泉澤大悟
映画 賭ケグルイ 絶体絶命ロシアンルーレット6月1日賭場二郎
ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜6月18日西方仁也
総理の夫9月23日相馬日和
そして、バトンは渡された10月29日森宮壮介
あなたの番です 劇場版12月10日手塚翔太
2022年女子高生に殺されたい4月1日東山春人
極主夫道 ザ・シネマ6月3日ナレーション
ハウ8月19日赤西民夫
耳をすませば10月14日園村
月の満ち欠け12月2日正木竜之介
2023年Gメン8月25日八神紅一
2024年あの人が消えた9月20日荒川渉
劇場版ドクターX FINAL12月6日森本光
私にふさわしいホテル12月27日遠藤道雄
2025年三谷幸喜『おい、太宰』劇場版7月11日小室健作

まとめ

最後にこの記事のポイントをまとめます!

  • 小学校は東京都中央区立久松小学校に通っていた
  • 厳しい担任の指導で毎日のように反省文を書き、小5で累計約400枚になった
  • 勉強も運動も得意で文武両道の優等生だった
  • 文集に「友達なんかいらない」と書くなど大人びた一面もあった
  • 小学1年生から母親の影響で東京YMCAのバスケットボールチームに所属した
  • 唯一長く続けた習い事がバスケで、4年生からスタメンとして活躍した
  • 小学生で東京YMCAチームの全国優勝を経験した
  • 中学校は渋谷教育学園幕張中学校に通っていた
  • 中学受験で猛勉強したが、合格後は勉強意欲を失い成績が低下した
  • バスケ部仲間に「私服がダサい」と言われショックを受けた
  • 中学3年の最後の大会後に怪我でバスケを引退した
  • 喪失感から高校進学後もしばらく前に進めなかった
  • 高校は渋谷教育学園幕張高等学校に通っていた
  • 進学校の中で勉強に取り残され「落ちぶれた」と振り返っている
  • 高校時代に先輩から寝込みを襲われそうになる恐怖体験があった
  • 大学には進学せず、高校卒業後は俳優業に専念した
  • 高校1年時、怪我で落ち込んでいたとき母親が応募した映画オーディションがきっかけで芸能界入り
  • 受験が嫌で「芸能界に進めば勉強せずに済む」と思ったことも芸能界入りの要因だった
  • 俳優デビューは、2000年12月に任天堂の「マリオパーティ3」のCMでのデビューが始まり
  • 2002年3月9日、園子温監督の「自殺サークル」で映画初出演を果たし、2003年7月のドラマ「WATER BOYS」で注目を集める。
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