工藤静香さんといえば、80~90年代に大活躍した歌手・女優として知られ、最近ではライフスタイルまで注目を集めていますよね。
でも実は、学生時代やご家族についてはあまり知られていないのではないでしょうか?
どんな学校に通っていたのか、本名は? どんな子ども時代を過ごしていたのか…。そんな素朴な疑問を持ったことある方も多いはずです。
今回は、工藤静香さんの学歴や学生時代のエピソード、さらにはご両親についてまで、ざっくり深掘りしてみたいと思います!
工藤静香のプロフィール

- 名前: 工藤 静香(くどう しずか)
- 本名: 木村 静香(きむら しずか) ※結婚後の姓。旧姓は工藤。
- 年齢: 55歳(1970年4月14日生まれ、2025年7月現在)
- 生年月日: 1970年4月14日
- 身長: 163cm
- 体重: 非公表(一般的には公表されていません)
- 血液型: B型
- 出身: 東京都西多摩郡羽村町(現:羽村市)
- 職業: 歌手・アーティスト、タレント、女優、画家、ジュエリーデザイナー
- 所属事務所: プロダクション尾木
- 趣味: 園芸(観葉植物の育成)、絵画
- 特技: 油絵、宝飾デザイン
工藤静香のご両親について

工藤静香さんのご両親はどんな人なのか、またお父様の職業は何をされているのかをご紹介していきます。
工藤静香の父親の職業は?
工藤静香さんの父親(工藤勘七)さんの職業は、東京都羽村市で「津軽」という名前の割烹小料理屋を経営していた板前(料理人)でした。
出身は青森県外ヶ浜町で、生前は繊細な包丁さばきで料理を作る料理人として活躍していました。
勘七さんは2005年に62歳で虚血性心不全により亡くなっています。
工藤静香さんは、お父様が亡くなった翌日に、SNSで以下のように話しています。
元々父は銀座の料亭の板前さんで、幼い頃から父の包丁捌きや芸術的に並ぶお刺身などを見るのが大好きでした。情に厚く愛情が底なしに深く、ハンサムでとてもチャーミングな人でした
引用元:デイリースポーツ
とこのようにコメント残しています。
また、父の影響で勘七さん自身も絵を描き始め、1996年には親子で二科展に入選したこともありました。
このように、工藤静香さんの父親はプロの板前として家族を支え、彼女の育ちや価値観に大きな影響を与えた存在です。
工藤静香の母親の職業は?
工藤静香さんの母親・工藤武子(たけこ)さんは、美容師として働いていたことが知られています。
彼女は青森県出身の父と、美容師の母のもとに生まれ、東京都羽村市で育ちました。
静香さん自身は母との関係について多くを語っていませんが、ウィキペディアには、以下のように記載がありました。
「青森県出身の板前の父と、美容師の母の下で育つ」
引用元:ウィキペディア
と、このように記載されており、その環境がのちの彼女の感性や表現力に影響を与えている可能性もあります。
美容師という職業は、人を美しくする感性と、細やかな技術力が求められます。
静香さんのメイクやファッション、ライフスタイルに表れる洗練されたセンスは、そんなお母さまの影響もあるのかもしれませんね。
個人的には、お母さまが美容という仕事を通して家庭を明るく彩り、静香さんの美意識にも自然に影響を与えていたのではと感じます。
工藤静香の学歴まとめ

工藤静香さんの学歴について、以下の3つの詳細をまとめてご紹介していきます!
- 小学校~高校までの出身学校名
- 学校での人物像や活躍ぶり
- 学生時代のエピソード
出身小学校:羽村市立栄小学校

工藤静香さんの出身小学校は、羽村市立栄小学校です!
こちらは1972年(昭和47年)に開校した学校で、最寄り駅はJR青梅線の小作駅で、徒歩約13分の場所にあります。
開校以来、児童数や学区の変動がありながら、地域に根ざした教育を行っており、工藤さんはこの学校で教育を学びました。
また、小学校時代は、スポーツやアウトドアが好きで活発な子どもだったようです。
東京都羽村市の栄小学校に通い、得意なマラソンや水泳のほか、釣りにも熱中していたとの事で、当時のことを以下のように話しています。
奥多摩の上流のほうまで行ってやっていたんですけど、私はヤマメとかイワナを釣って、口から箸を刺して、その場でバーベキューをして食べていました
引用元:マイナビニュース
と、このように話しています。
こうした幼少期の体験が、現在の工藤さんのアクティブなライフスタイルや自然への親しみにつながっているのかもしれません。
出身中学校:羽村市立羽村第二中学校

工藤静香さんの出身小学校は、羽村市立羽村第二中学校です!
羽村市立羽村第二中学校といえば、地元では「二中(にちゅう)」の愛称で親しまれている学校です。
静香さんが通っていた当時の二中は、今と同じくのびのびとした雰囲気で、地元の子たちが集まるアットホームな学校だったそうです。
当時の同級生からは「頼れるお姉さんみたいだった」と語られていて、いつも前向きで、少し大人びた雰囲気を漂わせていたという声もあり、その人懐っこさが印象的だったそうです。
ちなみに、羽村第二中学校は他にも有名人を輩出していて、朝日奈央さんや登坂広臣さんもこの学校の卒業生として知られています。
出身高校:東京都立板橋高等学校

工藤静香さんの出身高校は、東京都立板橋高等学校です!
板橋高校は東京都板橋区にある都立の学校で、地元では「板高(いたこう)」って呼ばれているみたいです。
ちなみに偏差値は41です!
また、工藤さんの高校時代は芸能活動と学業の両立に苦労した時期でした。
14歳でデビュー後、仕事もうまくいかず、高校受験も控え、悩み多い日々を過ごしていたとのことで、東京都立板橋高校に進学後、仕事のために日本音楽高校の音楽科に転校しています。
工藤さんは当時の悩みを以下のように話しています。
「テストもうまくいかない、何もかも上手くいかない!自分は本当に何をしたいのか、どう生きるべきなのか、どうしたら自分を生きれるのか、自分に問いかける日々でした」
引用元:スポニチ
と語っています。
この時期の受験勉強の帰り道に空を見上げて涙がこぼれたと本人が話し、「この時期の情けない自分を思い出すな」と当時の心境を明かしています。
工藤さんは、芸能界では当初「下っ端」でしたが、その冷静な自己分析が後の活動に生きたようです。
こうした若い頃の葛藤や挑戦が、今の工藤静香さんの強さと魅力につながっていると感じます。
大学には進学していない
工藤静香さんって、実は大学には進学していないんです。
高校を卒業した後は、すぐに芸能活動に本格的に専念する道を選んだみたいですね。
まあ、あれだけ若い頃からアイドルとして大活躍していたら、大学に通う時間なんてなかったんじゃないかなぁと思います。
当時は「おニャン子クラブ」のメンバーとして、テレビや雑誌に引っ張りだこでしたし、歌手としてもどんどん人気が出てきていた時期でしたし、進学よりも目の前のチャンスをしっかり掴みたいって気持ちが強かったのかもしれません。
それにしても、大学に行かなくても、あれだけ多方面で活躍できるって本当にすごいですよね。
今でも変わらず輝き続けている工藤静香さんを見ると、「学歴だけじゃないなぁ」って改めて感じさせられます。
工藤静香の芸能界デビューのきっかけ

工藤静香さんが芸能界に入るきっかけは、14歳のときに「ミス・セブンティーンコンテスト」で特別賞を受賞したことです!
このコンテストは、当時ティーンの女の子たちの間で大きな話題になっていたイベントでした。
静香さんも中学2年生という多感な時期に思い切ってチャレンジしたそうですが、会場にはたくさんの同世代が集まり、独特の緊張感と期待感があふれていたといいます。
当時の第3回「ミス・セブンティーンコンテスト」に出場された際、応募総数は18万人を超えており、その中から工藤さんは特別賞に選ばれ、この受賞がきっかけで、翌年には「セブンティーン・クラブ」としてデビューしています。

14歳で18万人の中から特別賞に選ばれるのはすごいことですよね。
工藤さんは当時のミス・セブンティーンコンテストの事に関して、ヌメロ・トウキョウのインタビューでは以下のように語っています。
「ミスには選ばれなかったけど、その後、デビューのお話をいただいて。そこからが私にとっては“ちゃんとしたお仕事”という経験でした。ただ、セブンティーン・クラブの時は、華やかでバラ色の生活…とはかけ離れたものでしたけど(笑)」
引用元:ヌメロ・トウキョウ
と、このように述べ、又、コンテストで18万人以上の応募からの特別賞をもらったことについて、
「 ワクワク、ウキウキみたいなものはまったくなかったですね」
引用元:ヌメロ・トウキョウ
と、上記のように話しており、工藤さんはミス・セブンティーンコンテストの特別賞もらったことに、喜びはそれほどなかったようです。
工藤さんはコンテストのグランプリに選ばれませんでしたが、その後はデビューのお話しを頂いて、日々お仕事をされていたそうです。
「華やかでバラ色の生活とはかけ離れたもの」と話していたほどなので、当時は大変苦労な日々を送っていたんだと思います。
中学生でこの経験をしたことが、その後の活動にも大きく影響したんじゃないでしょうか。
工藤静香の出演ドラマ・映画一覧


工藤静香さんが、これまでに出演されたドラマや映画の作品名を一覧にまとめてみました!
出演ドラマ一覧
1984年 |
2月|中卒・東大一直線 もう高校はいらない!(生徒 役) |
4月|女ざかり |
11月|歪んだ再会(女子中学生 役) |
1987年 |
10月|おヒマなら来てよネ!(鈴木八重子 役) |
1988年 |
1月|君の瞳をタイホする!(筒井静香 役) |
1月|あぶない少年II(工藤静香 役・初期のみ出演) |
4月|熱っぽいの!(森雪子 役) |
7月|悲しみがとまらない |
7月|時間ですよたびたび(宝田さつき 役) |
10月|君が嘘をついた(丹羽加奈子 役) |
12月|ミスマッチ(島崎亜子 役) |
1989年 |
1月|時間ですよ 新春スペシャル |
8月|叫んでも、聞こえない(喜屋武恵理 役) |
1990年 |
1月|世界で一番君が好き!(杉本ちひろ 役) |
1991年 |
10月|なんだらまんだら(東山しのぶ 役) |
12月|世にも奇妙な物語 冬の特別編「午前3時のノック」(戸川美也子 役) |
1993年 |
1月|あの日に帰りたい(青木一夜子 役) |
1996年 |
5月|五つの顔の変装刑事! 右京警部補事件ファイルE(水原真木子 役) |
10月|ゆずれない夜(矢萩多衣 役) |
1997年 |
7月|デッサン(青山晶子 役) |
1999年 |
3月|兄弟 |
10月|サイコメトラーEIJI2(志摩亮子(刑事) 役) |
2000年 |
9月|サイコメトラーEIJI2スペシャル |
出演映画一覧
1985年 |
4月|ビッグマグナム黒岩先生(主演:横山やすし、監督:山口和彦、東映) |
1992年 |
1992年|未来の想い出 Last Christmas(東宝、金江銀子 役、W主演:清水美砂) |
1996年 |
4月|極道の妻たち 危険な賭け(東映、洲崎香織 役:女性組長の娘) |
爆走! ムーンエンジェル 〜北へ〜(東映、女性トラックドライバー・葛西ルナ 役、主演) |
以上、工藤静香さんのドラマ・映画出演一覧でした。
工藤さんは1980~90年代に多彩な役を演じ、中学生役から刑事役、主演まで幅広く活躍されてますね。
特に『君の瞳をタイホする!』『サイコメトラーEIJI2』や映画『未来の想い出 Last Christmas』での存在感が印象的ですし、1996年の『極道の妻たち 危険な賭け』や『爆走! ムーンエンジェル 〜北へ〜』でも個性的な役を演じ、歌手にとどまらない確かな演技力を示しています。改めて魅力的な女優だと感じました。
工藤静香のシングル曲とアルバム一覧


工藤静香さんのシングル曲とアルバムを、一覧にまとめてみました!
シングル曲一覧
1987年 |
8月31日|禁断のテレパシー |
12月2日|Again |
1988年 |
3月2日|抱いてくれたらいいのに |
6月1日|FU-JI-TSU |
8月24日|MUGO・ん…色っぽい |
12月28日|恋一夜 |
1989年 |
5月3日|嵐の素顔 |
9月6日|黄砂に吹かれて |
1990年 |
1月10日|くちびるから媚薬 |
5月9日|千流の雫 |
9月21日|私について |
1991年 |
1月23日|ぼやぼやできない |
5月15日|Please |
10月23日|メタモルフォーゼ |
1992年 |
1月29日|めちゃくちゃに泣いてしまいたい |
5月21日|うらはら |
8月21日|声を聴かせて |
1993年 |
2月3日|慟哭 |
6月2日|わたしはナイフ |
10月6日|あなたしかいないでしょ |
1994年 |
3月18日|Blue Rose |
7月21日|Jaguar Line |
11月18日|Ice Rain |
1995年 |
5月19日|Moon Water |
11月20日|7 |
1996年 |
3月21日|蝶 |
6月5日|優 |
11月7日|激情 |
1997年 |
5月28日|Blue Velvet |
11月19日|カーマスートラの伝説 |
1998年 |
2月18日|雪・月・花 |
7月17日|きらら |
11月6日|一瞬 |
1999年 |
4月7日|Blue Zone |
2000年 |
11月8日|深紅の花 |
2002年 |
4月24日|maple |
2005年 |
2月16日|Lotus -生まれし花- |
4月27日|心のチカラ |
2006年 |
9月6日|Clāvis -鍵- |
2007年 |
5月23日|雨夜の月に |
2008年 |
11月5日|NIGHT WING/雪傘 |
2012年 |
10月17日|キミがくれたもの |
2021年 |
12月2日|島より |
2023年 |
8月2日|勇者の旗 |
10月27日|香雪蘭〜好きより愛してる〜 |
2024年 |
2024年4月2日|丸 |
アルバム一覧
1988年1月21日|ミステリアス |
1988年7月21日|静香 |
1989年3月15日|JOY |
1989年10月4日|カレリア |
1990年4月4日|rosette |
1991年3月6日|mind Universe |
1992年3月18日|Trinity |
1993年4月1日|Rise me |
1994年9月7日|Expose |
1995年8月2日|Purple |
1996年5月17日|doing |
1997年3月19日|DRESS |
1998年4月29日|I’m not |
1999年6月2日|Full of Love |
2002年7月3日|Jewelry Box |
2005年6月1日|月影 |
2017年8月30日|凛 |
2024年7月3日|明鏡止水 |
以上、工藤静香さんのシングル曲とアルバム一覧でした!
工藤静香さんのシングルとアルバムからは、長いキャリアと多様な音楽性が伝わりますよね。
デビュー曲「禁断のテレパシー」や1980年代後半のヒット曲で注目を集め、恋愛の複雑さや女性の強さを描いた歌詞が魅力的ですし、『ミステリアス』『静香』から始まり、1990年代は『Expose』『Purple』『doing』など毎年新しい挑戦を続けました。
ポップスからロック、バラードまで幅広く、年代ごとに魅力が変化。1990年代半ば以降は大人っぽい艶やかさが増し、成長が感じられますし、2000年代以降も新曲を発表し続け、2020年代の作品まで輝きを保ち、感情をリアルに表現した洗練された音楽が印象的です。
まとめ
最後に工藤静香さんの記事のポイントをまとめます!
- 小学校は東京都羽村市立栄小学校に通っていた
- 小学校時代はマラソン、水泳、釣りなどアウトドアが好きな活発な子だった
- ヤマメやイワナを釣ってその場で焼いて食べるような体験もしていた
- 中学校は羽村市立羽村第二中学校(通称「二中」)に通っていた
- 中学時代は「頼れるお姉さん」的存在で、少し大人びた雰囲気で人気者だった
- 朝日奈央や登坂広臣も羽村第二中学校の卒業生である
- 中学2年生のとき、第3回ミス・セブンティーンコンテストに出場
- 応募総数18万人の中から特別賞を受賞し、芸能界デビューのきっかけとなった
- コンテスト後に「セブンティーン・クラブ」としてデビュー
- デビュー当初の生活は「華やかとは程遠く、大変だった」と語っている
- 高校は東京都立板橋高校(偏差値41)に入学
- 高校時代は芸能活動との両立に苦労し、その後日本音楽高校の音楽科に転校
- 高校では部活動はせず、帰宅部だった
- 高校受験期~初期に「何もかも上手くいかない日々」を経験したと語っている
- 高校生のときは仕事の成果が見えずに悩み、自分の存在意義を模索していた
- 大学には進学せず、高校卒業後は芸能活動1本で生きていく道を選んだ
- 父・工藤勘七さんは青森県出身の料理人で、東京都羽村市で割烹「津軽」を経営
- 銀座の料亭で板前を経験後、独立して店を経営していた
- 2005年、虚血性心不全で62歳で亡くなった
- 「情に厚く、愛情深く、チャーミングな人だった」と静香さんはコメントしている
- 父の影響で絵を描き始め、1996年には親子で二科展に入選した経験がある
- 母・工藤武子さんは美容師で、東京都羽村市で静香さんを育てた
- 美容師の母から美意識・感性の影響を受けていると思われる
- 「板前の父と美容師の母のもとで育つ」環境が、静香さんの表現力や感性を育んだ